柿本神社(かきのもとじんじゃ)

ご由緒
弘仁2年811年)に弘法大師が明石を訪れた折、今の明石城の本丸にあたる赤松山に湖南山楊柳寺(月照寺)を建立したといわれる。その後に仁和3年(887年)に柿本人麻呂公の霊夢を見た楊柳寺の覚証上人によって大和の柿本寺から柿本人麻呂公が念持仏としていた船乗観世音像が遷され、寺の背後に人麿祠堂を建てたのが始まりといわれている。元和6年(1620年)には小笠原忠政公が明石城を築城。しかし城が建てられたのが人麿祠堂の建つ赤松山だったため、人麿祠堂を自由に参拝できなくなってしまった民衆が京都所司代に訴えを起こし、明石藩の統治のためには民衆の信仰を妨げることは得策でないと考えたか、京都所司代仲介もあって人麿祠堂は2年後の元和8年(1622年)に月照寺とともに現在の場所に移された。その後明治4年(1871年)の神仏分離令によって月照寺と分けられ、柿本神社となった。
住所
673-0877
兵庫県明石市人丸町1-26
御祭神
柿本人麿朝臣(かきのもとのひとまろあそみ)
電話番号
078-911-3930
営業時間
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標高
23m
社格
旧県社
系列
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