天満天神社(川崎市幸区下平間)(てんまんてんじんじゃ)

ご由緒
菅原道真公が九州の太宰府に左遷されたとき、子の三郎道武もまた武蔵国府中に流された。延喜3年(903年)に、道真公が左遷先となる筑紫で没したと伝えられると、道武は嘆き悲しみ、父の尊像を自ら模刻し、多摩川の中州の天神島に祀ったのが谷保天満宮の起源となる。そして、道武は土地の豪族「津戸貞盛」(別名「上平太貞盛」。一説には平将門を討った平貞盛とも言われています。)の娘との間に道英を生み、そこから6代経った「津戸次郎為広」の三男「津戸三郎為守」(1163~1243)が、この像を持って谷保天満宮を現在地へ遷座し、更に平間郷にご分霊を勧進し、一社を建立したのが当社、天満宮の始まりとされる。その後、社殿は、昭和20年4月15日の川崎大空襲により一度、焼失しており、昭和40年9月、氏子の寄進により、現在の社殿が再建され、現在に至る。
住所
212-0053
神奈川県川崎市幸区下平間51
御祭神
菅原道真公(すがはらみちざねこう)
電話番号
044-511-6010(八幡大神)
営業時間
-
標高
5m
社格
-
系列
天満宮