栗山東照宮(くりやまとうしょうぐう)

ご由緒
当地は、元は野門村と称した集落のひとつであった。そして、慶応4年(1868年)の戊辰戦争の折、会津方の兵士として、当村より、働き手が徴用され、日光と野門村とを隔てる富士見峠近くの若狭河原の戦いでニ名の死傷者を出したと言われている。そんな混乱していた時期、会津方は、日光東照宮境内で最も由緒ある宿坊に祀ってあったと思われる「男体山三社の御神体」と「徳川家康公の御神体」を守るため、密かに、会津若松城(鶴ヶ城)に移して守ろうとしたが、会津若松城もまた、既に攻撃されているのを知り、その途上にあった当村の小栗久右衛門という者に、肥後守(会津城主松平容保)の命にて、その墨付きとともに象牙の白笏を授けて、御神体の守護職に命じたと伝えられている。当社は、その事実を広く伝えるため、昭和45年(1970年)10月に、建立されたとしている。
住所
321-2716
栃木県日光市野門199
御祭神
徳川家康公(とくがわいえやすこう) 相殿:豊臣秀吉公(とよとみひでよしこう)、源頼朝卿(みなもとのよりともきょう)
電話番号
0288-97-1204
営業時間
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標高
961m
社格
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系列
東照宮