黒男神社(くろおじんじゃ)

ご由緒
仲哀9年(200年)、仲哀天皇は日向国の熊襲征討のため神功皇后とともに九州へと下り、筑紫橿日宮(つくしのかしいのみや)を創建するが、神功皇后が新羅討伐の御神託を受けこれに従わなかったことから神の怒りに触れこの地で崩御されてしまう。神功皇后は、夫である仲哀天皇を弔おうと斎宮(いつきのみや)を造営し、斎宮に祈祷のために籠る関係、防御が手薄になることを恐れ、武内宿禰命をカタ山に配備したという。この時、皇后に従っていた大彦命(おおびこ)の皇子である武渟川別命もカタ山に陣を敷いたと言われ、同地に宿営する間に、山田在郷の娘と子を授けたという。その子孫が山田の集落一帯に繁栄したと言われ、これが阿部家の祖先と言われている。そして、その末裔は、武内宿禰命の死後、その御霊を祀り、黒男神社と称えたと言われている。
住所
811-2502
福岡県糟屋郡久山町山田1283
御祭神
武内宿禰命 (たけうちのすくね)、武渟川別(たけぬなかわわけ)
電話番号
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営業時間
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標高
41m
社格
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系列
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