松山稲荷神社(まつやまいなりじんじゃ)

ご由緒
文永11年(1274年)に、八角田(博多)に蒙古軍が襲来し、日田永基(ひたながもと)は筑前国早良郡にある姪の浜及び百路(道)原にある稲荷祠の所で忠死したという。戦後、その活躍に応じて、国東郡安岐郷に所領を与えられ、子の基宗が入部して弁分八郎を号したという。このため、当社は、伊勢の皇大神宮の外宮で京都伏見稲荷大社の直轄の末社であるとされ、九州で最も古い稲荷神社とされているが、その詳細は不明となる。
住所
814-0002
福岡県福岡市早良区西新2-24-20
御祭神
-
電話番号
-
営業時間
-
標高
4m
社格
-
系列
稲荷神社