射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)

ご由緒
欽明天皇25年(564)6月11日に影向があり、飾磨郡伊和里水尾山に、大己貴命(兵主の神)を祀ると伝えられている。また、播磨国風土記に「因達と称ふは 息長帯比売命(中略) 渡りましし時 御船前に御しし伊太代の神(射楯の神)此処に在す 故 神のみ名に因りて 里の名と為す」と記されているところから、8世紀以前には、射楯の神が飾磨郡因達里に祀られていたことがわかる。二神をいつ合座したのかについては、明確な資料が存在しないが、927年に編纂された延喜式神明帳に「射楯兵主神社二座」とあり、式内社として少なくとも9世紀後半には合座されていた。その後、安徳天皇養和元年(1181)には、播磨国内の大小明神百七十四座の神々を合わせ祀って「播磨国総社」と称し、三日潮「播磨国総鎮守の神社」として広く知られるようになった。
住所
670-0015
兵庫県姫路市総社本町190
御祭神
射楯大神(いたてのおおかみ)、兵主大神(ひょうずのおおかみ)
電話番号
079-224-1111
営業時間
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標高
16m
社格
式内社(小社)・播磨国総社・県社・別表神社
系列
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公式ページ