玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)

ご由緒
垂仁天皇18年(紀元前12年)の創建。聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋公と争われた際、この玉作岡に陣を敷き祈願されたところ、のちに枝葉が生じ、この戦いも無事に終わったと記されている。後に天正4年の兵乱により本・末社、旧記等ことごとく亡くしたが、慶長8年には豊臣秀頼公により社殿、高殿(舞台)を建立。元和元年の大坂落城を経て、元和5年には徳川幕府の大坂城代、内藤紀伊守を始め、氏子・崇敬者の寄進を以って再建。社名は豊津稲荷神社として豊臣・徳川時代を通じ「大坂城の守護神」として崇敬された。文久3年11月の大坂大火(新町焼)を経て、明治4年氏子・崇敬者によりご造営。国家管理時代の社格は府社となり、その後昭和20年6月1日の大東亜戦争(第二次世界大戦)の戦禍を受けましたが、戦後は新憲法のもと宗教法人(神社本庁)玉造稲荷神社となった。
住所
540-0004
大阪府大阪市中央区玉造2-3-8
御祭神
宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)、下照姫命(したてるひめのみこと)、雅日女命(わかひるめのみこと)、月読命(つきよみのみこと)、軻遇突智命(かぐつちのみこと)
電話番号
06-6941-3821
営業時間
-
標高
6m
社格
府社
系列
稲荷神社
公式ページ