丸子山王日枝神社(まるこさんのうひえじんじゃ)

ご由緒
桓武天皇のご嫡子である貞恒親王の次男「恵恒僧都」は不思議な故あって近江国の坂本一本松辺りに入られて「山本平左衛門尉恒重」と名乗ったという。そして、その弟「次郎左衛門尉恒明」と共に神に使え、滋賀県大津市の日吉大社の御分霊を美濃国赤坂に勧請した。更に尾張国の熱田神宮に一年合わせ祀られ、また更に関東に下り、武蔵国稲毛庄河崎村の守山に宮を立てて納めた。ところが夢枕に神が立ち、更に西に行くようにと告げられ、大同4年(809年)6月14日に、丸子の地に今一度宮を建てて納めることになったという。これより下丸子今井村は「日吉権現」の社領となり、治承2年(1178年)5月、小松内大臣の平重盛公は武里蔵人太夫を遣わして社殿を再建し、社宝として9寸5分の御剱を奉納した。明治2年(1869年)山王権現を日枝神社と改称し現在に至る。
住所
211-0002
神奈川県川崎市中原区上丸子山王町1-1455
御祭神
大穴牟遅神(おおなむちのかみ)、家都御子神(けつみこのかみ)、建御名方命(たけみなかたのかみ)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、菅原道真公(すがはらみちざねこう)、倭健命(やまとたけるのみこと)
電話番号
044-422-3271
営業時間
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標高
6m
社格
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系列
日吉神社
公式ページ