石鎚神社(いしづちじんじゃ)

ご由緒
常住社(今の成就社)創立後、上仙大師、光定大師等の高僧が、四国八十八ヶ所第六十番札所の横峰寺、同じく第六十四番札所の前神寺を創立、石鎚神社の別当寺となって、幕末、明治維新を迎えた。同時に明治天皇の大命により、神仏混淆が禁止され、別当寺が廃止、純粋な神社と定められたが、現在も永く信仰をものがたるかのように、神仏混淆が色濃く残っている。かつて弘法大師も石鎚山で修行したと伝えられ、桓武天皇、文徳天皇、武将としては源頼朝、河野家一族、豊臣家一族の厚い信仰があり、慶長十五年豊臣秀頼公により、中之宮成就社が御造営されたが、明治二22年の火災により消失した。また、寛文年間よりは、西条藩主、小松藩主の信仰が特に厚く、神殿の修理、神器、神宝の奉納が数々あった。明治初年、明治天皇の大命により神仏混淆が禁止された当時、石鎚神社は県社の社格に列せられ、その後、大東亜戦争の終了と共に、全国の神社は神社本庁に包括される宗教法人となり、石鎚神社は従来の官国弊社と同格の別表神社という待遇を受けた。
住所
793-0062
愛媛県西条市西田甲797番地
御祭神
石鎚毘古命(いしづちひこのみこと)
電話番号
0897-55-4044
営業時間
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標高
66m
社格
県社・別表神社
系列
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