高尾稲荷神社(たかおいなりじんじゃ)

ご由緒
万治2年(1659年)12月、新吉原の三浦屋四郎左衛門お抱えの遊女・二代目高尾太夫は傾城という娼妓(しょうぎ)の最高位(娼婦の最高の位)にあり、容姿端麗で有名で和歌俳諧に長け、書は抜群、諸芸に通じ、比類ない全盛を誇っていたという。しかし、ある日その高尾が仙台藩主伊達綱宗侯に寵愛され、大金をつんで身請けされるが、彼女には既に意中の人があり、操を立てて従わなかったため、ついに怒りを買って隅田川の三又(現在の中州)あたりで楼船上にて吊り斬りにされ川中に捨てられてしまう。数日後、その遺体が当地大川端の北新堀河岸に漂着し、当時そこに庵を構えていた僧が居合わせて引き揚げそこに手厚く葬った。そして、その高尾の不憫さに多くの同情が集まり、そこに社を建て、彼女の神霊・高尾大明神を祀り、高尾稲荷社としたというのが始まりとなる。
住所
103-0015
東京都中央区日本橋箱崎町10
御祭神
高尾大明神(たかおだいみょうじん)
電話番号
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営業時間
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標高
2m
社格
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系列
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