田村銀杏稲荷大明神(たむらいちょういなりだいみょうじん)

ご由緒
日比谷通りの新橋4丁目交差点脇の歩道には、元禄14年(1701年)3月14日に江戸城松の廊下で刃傷沙汰を起こした後、田村邸に預けられ将軍綱吉の裁断により即日切腹となった内匠頭の切腹した場所を示す「浅野内匠頭終焉之地」の石碑があり、その奥州一之関藩主・田村右京大夫建顕(うきょうたいふたけあき)の上屋敷がこの周辺にあった。当時、その庭先には大きな銀杏の樹があり、関東大震災で焼失してしまう。その後、その跡地に、「田村銀杏稲荷大明神」が建立されたことに始まるが、第二次世界大戦により当社も焼失してしまう。現在、都道環状第2号線(マッカーサー道路)の建設により、旧田村邸跡の焼失に伴い、2003年地元有志によって、当社のみ復活し、現在に至る。
住所
105-0004
東京都港区新橋4-28
御祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
電話番号
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営業時間
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標高
4m
社格
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系列
稲荷神社