矢の庫稲荷神社(やのくらいなりじんじゃ)

ご由緒
正保2年(1645年)、当地に隣接する東日本橋1丁目あたりは谷野と呼ばれており、幕府は米蔵を建て谷野蔵・矢之倉と称したが、その庭中に御蔵の鎮神として三社を合殿した三社稲荷神社を祀った。三社は中央に「谷野蔵稲荷」、左に「福富稲荷」、右に「新左衛門稲荷」と称されていた。元禄11年(1698年)、御蔵を鉄砲洲に移転すると共に三社稲荷も一緒に移されたが、御蔵跡地の住民がそれを惜しんで三社稲荷を残し、今も尚、東日本橋1丁目に「矢の倉三社稲荷」として祀っている。そして、明治6年には、「新左衛門稲荷」が、昭和7年には「福富稲荷」が当町「初音森神社」に遷座合祀されたといわれ、残る「谷野蔵稲荷」は幾多の変遷の後、現在地に鎮座することになった。
住所
103-0027
東京都中央区東日本橋2-6-8
御祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
電話番号
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営業時間
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標高
3m
社格
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系列
稲荷神社