多武峯内藤神社(とうのみなないとうじんじゃ)

ご由緒
当社は新宿御苑の東隣にある。もともとこの辺りは、江戸時代内藤家の下屋敷のあった場所となる。江戸時代、徳川家康は入府の後、譜代の家臣内藤清成(ないとうきよなり)と青山忠成(あおやまただなり)の二人を呼びよせて「馬で駆けまわっただけの土地を与える」と言い渡した。清成の乗った駿馬は南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷と広く走り回ることに成功したが、駿馬は疲れ果てて死んでしまう。その為、馬は大樫の木の下に埋めることにする。その後、内藤家は屋敷のかなりの部分を幕府に返納するが、文化13年(1816年)には内藤家の森林の管理役となった中家休昌・木下正敷は、この樫の古木の下に駿馬の石碑を残し、功労を讃える。これが、当社境内にある駿馬塚の始まりとなる。そして、広大な屋敷の内には内藤氏が藤原秀郷の末流であったことから、藤原氏の氏神である大和の多武峯神社を勧請、また藤原氏の氏神である奈良の春日大社より分霊を歓請し、合祀、その屋敷神とした。これが現在の多武峯内藤神社の始まりとなり、当初は現在の新宿御苑内にあったが、その後に現所在地に遷座し、現在に至る。
住所
160-0014
東京都新宿区内藤町1-8
御祭神
藤原鎌足公(ふじはらのかまたりこう)
電話番号
03-3351-1203
営業時間
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標高
31m
社格
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系列
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