山田邑斎宮(やまだのむらいつきのみや)

ご由緒
仲哀9年(200年)、仲哀天皇は、日向国の熊襲征討のため、神功皇后とともに九州へと下り、筑紫橿日宮(つくしのかしいのみや:現在の福岡市東区の香椎宮)を創建するも、神功皇后が新羅討伐の御神託を受け、これに従わなかったことから、神の怒りに触れ、この地で崩御されてしまう。この為、神功皇后は、夫である仲哀天皇を弔おうと造営したのが、当社、斎宮(いつきのみや)と言われている(聖母屋敷:現在の山田小学校横)。
住所
811-2502
福岡県糟屋郡久山町山田232
御祭神
天疎向津姫命(あまさかるむかつひめのみこと)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、住吉三神(すみよしさんじん):底筒之男命(そこつつのおのみこと)、中筒之男命(なかつつのおのみこと)、表筒之男命(うわつつのおのみこと)
電話番号
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営業時間
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標高
40m
社格
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系列
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