立帰天満宮(たちかえりてんまんぐう)

ご由緒
創建は元禄年間(1688年~1703年)。大宰府に左遷させられた菅原道真公が龍王の滝(天拝山の麓)で百日の斎戒沐浴をし、天拝山(筑紫野市)で七日七晩、国の安泰と自らの無実(いつの日か都へ戻ることが出来るように)を祈願したといわれる。このときに自らの像を彫り、この地に収めたと言われている。元禄5年(1692年)に、塔原(とうのはる)の森天神(武蔵寺)の境内よりこの木像が掘り出され、しばらく同社に祀られていたが、元禄年間(1688年~1703年)の末頃、武蔵寺の本寺たる荒津山麓源光院内に遷座したという。島原の乱のときに、源光院で祈願し出陣した黒田家の武士達が無事に凱旋したことから、無事に立ち帰る、日本で唯一の立帰天満宮としての信仰が始まったといわれている。太平洋戦争の時には戦地へ行った家族が無事帰って来れるように祈願するため、全国からこの神社へ参拝者が後を絶たなかったといわれている。
住所
810-0061
福岡県福岡市中央区西公園10-7
御祭神
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)、大山積神(おおやまつみのかみ)
電話番号
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営業時間
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標高
13m
社格
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系列
天満宮