金刀比羅神社(佐賀市)(ことひらじんじゃ)

ご由緒
当社は、称徳天皇の天平神護元年(764年)肥前国々司が四国金刀比羅宮の分神を肥前国金刀比羅宮総座の宮、金刀比羅大将大権現と尊称して奉祠以来、豪族、武将庶民の崇敬を集めていた。しかし天正3年戦火によって堂宇は灰燼と化し天正5年竜造寺隆信が社殿を再建し、藩祖鍋島直茂は、朝鮮の役、島原の役等の解願成就奉賛の為、山林七町余りと観音寺一乗院一宇を別当寺として建立した。又5代藩主鍋島宗茂は享保17年若君宗教(6代藩主)の大病平癒、祈願成就奉賛の為、荘厳美麗な神殿を建立して権現原より当山へ遷宮されると共に併せて佐嘉城本丸に奉祀中の東照宮も当山へ遷宮して本支藩挙って金宝を奉納するなど崇敬の誠を尽されたが、が明治維新によって、山林社地は境内地若干を残して上地となり以後、崇敬者の奉賛により現在に至っている。
住所
849-0906
佐賀県佐賀市金立町大字金立大門3349
御祭神
神産巣日大神(かむみむすひのおおかみ)、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)、多紀理津毘売神(たきりびめのかみ)、少名彦大神(すくなひこのおおかみ)、事代主大神(こしろぬしのおおかみ)、建御名方大神(たけのみなかたのおおかみ)、金山彦大神(かなやまひこのおおかみ)
電話番号
0952-98-1237
営業時間
-
標高
77m
社格
-
系列
-