鵜坂神社(うさかじんじゃ)

ご由緒
鵜坂神社の創建は崇神天皇の御代に大彦命(北陸道将軍)によって勧請されたのが始まりと伝えられている。白雉2年(652)に再建され称徳天皇の御代には勅願により行基が七堂伽藍二十四坊を建立し越中の総社として多くの神事が行われたとのこと。貞観9年(867)には従三位を賜うなど中央にも知られた存在で延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳にも式内社として記載されていた。古くから神仏混合し別当には鵜坂寺があたり広く影響力を持つようなるが木曽義仲の兵火により焼失し一時衰退する。鎌倉時代に入ると源頼朝が庇護し社殿の再建や社領の寄進が行われている。戦国時代に入ると上杉謙信による越中侵攻の兵火にあい境内が荒廃し神通川の水害なども重なり当時の隆盛からは大きく衰退し、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され神社として独立するが、僧形神像と男神像が現在も祀られ境内には五輪塔や石碑があるなど当時の名残も見られる。
住所
939-2711
富山県富山市婦中町鵜坂212
御祭神
淤母陀琉神(おもだるのかみ)、訶志古泥神(かしこねのかみ)、鵜坂姉比咩神(うさかねひめのかみ)、鵜坂妻比咩神(うさかめひめのかみ)、大彦命(おおびこのみこと)
電話番号
076-491-1615
営業時間
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標高
14m
社格
式内小社・県社
系列
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